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2024/6/30【関東ラグビーフットボール協会 100周年記念試合】マッチレポート
2024/07/02
関東ラグビーフットボール協会 100周年記念試合
6月30日(日)・秩父宮ラグビー場
7人制 大学交流戦
△対抗戦選抜24-24リーグ戦選抜△
15人制 東西学生対抗戦
○東軍学生代表63-24西軍学生代表●
《BRIEF REVIEW》
この日、「関東ラグビーフットボール協会 100周年記念試合」が開催された。帝京からは「7人制 大学交流戦 対抗戦選抜」として、山本晴大、吉田有佑、寺山廉太郎の3人が、「15人制 東西学生対抗戦 東軍学生代表」として、青木恵斗(東軍キャプテン)、梅田海星、李錦寿、當眞蓮、平井半次郎、松原結生、大町佳生、倉橋歓太の8人が選ばれた。
まずは「7人制 大学対抗戦」の試合。開始早々、帝京の山本が得意のスピードで魅せる。キックオフからのやや乱れたボールをうまくつなぎ、自陣22mライン近くからランで抜け出す。ゴールラインまで10mというところまで一気に駆け上がり、チャンスを作る。展開してゴール前でペナルティをもらい、クイック・リスタートから対抗戦選抜が先制トライを奪う(7-0、コンバージョンキックは寺山)。
直後に同点に追いつかれるが、その返しのキックオフから、乱れたボールをまたもうまくつなぐ。ランでの前身から外へと展開。大外にポジショニングした山本までパスが回り、抜け出してトライ(12-7)。
このあと、両チームともに慣れてきたのか、ディフェンスがよくなり、しばらく得点が動かない。次に得点が動いたのは6分。リーグ戦選抜にスクラムからうまくつながれ、トライを奪われ、12-12で前半を折り返した。
後半最初の得点は対抗戦選抜。ペナルティから展開し、寺山がステップで抜け出す。チャンスを作り、ボールが乱れる場面もあるもののうまくつなぎ切り、トライを奪う(17-12)。
ここからリーグ戦選抜に4分、6分とトライを奪われ、17-24と逆転を許す。残り1分で7点差。対抗戦選抜ボールのラインアウトから、うまくつなぐ。最後はうまく抜け出し、中央にトライ。コンバージョンも決まり、24-24の引き分けでノーサイドとなった。
14:30キックオフは「15人制 東西学生対抗戦」の試合。先制したのは西軍学生代表。キックカウンターから抜け出され、トライを奪われる(0-5)。だが、これで東軍学生代表にスイッチが入る。ペナルティからNo.8青木がクイックで仕掛け、ラックになるが、SH李からの素早いパスで東軍学生代表が抜け出してトライを奪う(7-5)。
ここから、東軍学生代表の攻撃が続く。No.8青木の力強いボールキャリー、SH李の素早く的確なボールさばき、PR梅田の安定したスクラムなど、帝京の選手たちの動きもいい。
対抗戦選抜は前半に6連続トライ。前半終了間際に1トライ返され、42-12で配布タイムを迎えた。
後半からは、PR平井、HO當眞、PR松原、SO大町、No.8倉橋も登場。倉橋の力強いボールキャリー、大町の的確なパスでチャンスを作る。大町は、SHがラックに巻き込まれると見るや、すぐに駆け寄り、ボールアウトする。
そして、スクラムは第一列が平井、當眞、松原という帝京陣。スタンドからは3人の名を呼ぶコールがかかり、力強いスクラムで押し込む。大町、平井らはディフェンスでも好タックルで貢献する。倉橋は何度も力強いボールキャリーを見せ、青木はパスでも魅せる。
後半は東軍学生代表が3トライ、西軍学生代表が2トライを取り合い、ノーサイド。63-24で東軍学生代表が勝利した。
《COLUMN》
―― 関東協会100周年、100前には何があった? ――
6月30日、関東ラグビーフットボール協会(関東協会)100周年記念試合が行われました。関東協会設立は、1924(大正13)年。翌年には、西部ラグビー蹴球協会(関西協会の前身)、さらにその翌年には日本ラグビー蹴球協会(日本協会)が発足しています。
関東協会の歴史は日本協会よりも古く(ラグビー協会の中では最も古く)、日本協会は翌年にできた西部協会(関西協会)と関東協会とを束ねる必要性が出てきたことから発足したのです(ちなみに、第1回東西大学対抗ラグビーは、1928(昭和3)年に開催されています)。
1924(大正13)年とは、どのような年だったのでしょうか。1月には第1回冬季オリンピックであるシャモニー(シャモニー・モンブラン)五輪が行われました。日本は選手団を送る予定だったそうですが、前年9月に起こった関東大震災の影響で、選手団の派遣を見送っています。
つまり、関東協会は関東大震災が起こった翌年に設立されたということになります。震災復興もまだまだこれからという時期に、ラグビー界としては大きな一歩を踏み出したわけです。
この年、スポーツ関連でさまざまな動きが起こっています。4月には第1回選抜中等学校野球大会(現在の「選抜高校野球大会」)が行われました。5月には、パリ五輪が開かれ、こちらには日本選手団が派遣されています(NHK大河ドラマの主人公にもなった金栗四三も出場)。
7月には阪神甲子園球場が竣工、10月には明治神宮外苑競技場(国立競技場の前身)が竣工し、同月、第1回明治神宮競技大会(その後の国体にもつながる大会、ラグビーもあった)が開かれています。
大震災にも負けず、大きな競技場の工事が(一時的には止まったものの)続けられ、大きなスポーツイベントに多くの人が参加し、さらに多くの人がそれを観戦した年、それが100年前の1924(大正13)年でした。
ラグビー協会の話に戻れば、来年は関西協会創設100周年、再来年は日本協会創設100周年になります。きっと歴史を感じさせてくれるイベントが行われることと思います。いまからとても楽しみです。
(文/木村俊太・写真/志賀由佳)
6月30日(日)・秩父宮ラグビー場
7人制 大学交流戦
△対抗戦選抜24-24リーグ戦選抜△
15人制 東西学生対抗戦
○東軍学生代表63-24西軍学生代表●
《BRIEF REVIEW》
この日、「関東ラグビーフットボール協会 100周年記念試合」が開催された。帝京からは「7人制 大学交流戦 対抗戦選抜」として、山本晴大、吉田有佑、寺山廉太郎の3人が、「15人制 東西学生対抗戦 東軍学生代表」として、青木恵斗(東軍キャプテン)、梅田海星、李錦寿、當眞蓮、平井半次郎、松原結生、大町佳生、倉橋歓太の8人が選ばれた。
まずは「7人制 大学対抗戦」の試合。開始早々、帝京の山本が得意のスピードで魅せる。キックオフからのやや乱れたボールをうまくつなぎ、自陣22mライン近くからランで抜け出す。ゴールラインまで10mというところまで一気に駆け上がり、チャンスを作る。展開してゴール前でペナルティをもらい、クイック・リスタートから対抗戦選抜が先制トライを奪う(7-0、コンバージョンキックは寺山)。
直後に同点に追いつかれるが、その返しのキックオフから、乱れたボールをまたもうまくつなぐ。ランでの前身から外へと展開。大外にポジショニングした山本までパスが回り、抜け出してトライ(12-7)。
このあと、両チームともに慣れてきたのか、ディフェンスがよくなり、しばらく得点が動かない。次に得点が動いたのは6分。リーグ戦選抜にスクラムからうまくつながれ、トライを奪われ、12-12で前半を折り返した。
後半最初の得点は対抗戦選抜。ペナルティから展開し、寺山がステップで抜け出す。チャンスを作り、ボールが乱れる場面もあるもののうまくつなぎ切り、トライを奪う(17-12)。
ここからリーグ戦選抜に4分、6分とトライを奪われ、17-24と逆転を許す。残り1分で7点差。対抗戦選抜ボールのラインアウトから、うまくつなぐ。最後はうまく抜け出し、中央にトライ。コンバージョンも決まり、24-24の引き分けでノーサイドとなった。
14:30キックオフは「15人制 東西学生対抗戦」の試合。先制したのは西軍学生代表。キックカウンターから抜け出され、トライを奪われる(0-5)。だが、これで東軍学生代表にスイッチが入る。ペナルティからNo.8青木がクイックで仕掛け、ラックになるが、SH李からの素早いパスで東軍学生代表が抜け出してトライを奪う(7-5)。
ここから、東軍学生代表の攻撃が続く。No.8青木の力強いボールキャリー、SH李の素早く的確なボールさばき、PR梅田の安定したスクラムなど、帝京の選手たちの動きもいい。
対抗戦選抜は前半に6連続トライ。前半終了間際に1トライ返され、42-12で配布タイムを迎えた。
後半からは、PR平井、HO當眞、PR松原、SO大町、No.8倉橋も登場。倉橋の力強いボールキャリー、大町の的確なパスでチャンスを作る。大町は、SHがラックに巻き込まれると見るや、すぐに駆け寄り、ボールアウトする。
そして、スクラムは第一列が平井、當眞、松原という帝京陣。スタンドからは3人の名を呼ぶコールがかかり、力強いスクラムで押し込む。大町、平井らはディフェンスでも好タックルで貢献する。倉橋は何度も力強いボールキャリーを見せ、青木はパスでも魅せる。
後半は東軍学生代表が3トライ、西軍学生代表が2トライを取り合い、ノーサイド。63-24で東軍学生代表が勝利した。
《COLUMN》
―― 関東協会100周年、100前には何があった? ――
6月30日、関東ラグビーフットボール協会(関東協会)100周年記念試合が行われました。関東協会設立は、1924(大正13)年。翌年には、西部ラグビー蹴球協会(関西協会の前身)、さらにその翌年には日本ラグビー蹴球協会(日本協会)が発足しています。
関東協会の歴史は日本協会よりも古く(ラグビー協会の中では最も古く)、日本協会は翌年にできた西部協会(関西協会)と関東協会とを束ねる必要性が出てきたことから発足したのです(ちなみに、第1回東西大学対抗ラグビーは、1928(昭和3)年に開催されています)。
1924(大正13)年とは、どのような年だったのでしょうか。1月には第1回冬季オリンピックであるシャモニー(シャモニー・モンブラン)五輪が行われました。日本は選手団を送る予定だったそうですが、前年9月に起こった関東大震災の影響で、選手団の派遣を見送っています。
つまり、関東協会は関東大震災が起こった翌年に設立されたということになります。震災復興もまだまだこれからという時期に、ラグビー界としては大きな一歩を踏み出したわけです。
この年、スポーツ関連でさまざまな動きが起こっています。4月には第1回選抜中等学校野球大会(現在の「選抜高校野球大会」)が行われました。5月には、パリ五輪が開かれ、こちらには日本選手団が派遣されています(NHK大河ドラマの主人公にもなった金栗四三も出場)。
7月には阪神甲子園球場が竣工、10月には明治神宮外苑競技場(国立競技場の前身)が竣工し、同月、第1回明治神宮競技大会(その後の国体にもつながる大会、ラグビーもあった)が開かれています。
大震災にも負けず、大きな競技場の工事が(一時的には止まったものの)続けられ、大きなスポーツイベントに多くの人が参加し、さらに多くの人がそれを観戦した年、それが100年前の1924(大正13)年でした。
ラグビー協会の話に戻れば、来年は関西協会創設100周年、再来年は日本協会創設100周年になります。きっと歴史を感じさせてくれるイベントが行われることと思います。いまからとても楽しみです。
(文/木村俊太・写真/志賀由佳)
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